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会社情報

三興・大建産業時代

丸紅商店、伊藤忠商事などの業績が回復するにつれて伊藤家の事業を統一しようとする動きが強まり、伊藤忠兵衛が役員をしていた鉄鋼専門商社の株式会社岸本商店と丸紅商店、伊藤忠商事の3社が1941年(昭和16年)9月合併して三興株式会社となった。会長には伊藤忠兵衛が、社長には初代伊藤忠兵衛の孫娘の婿であった伊藤竹之助(当時伊藤忠商事社長)が就任した。しかしすぐに太平洋戦争が勃発して経済統制が強化され、活動は困難となり、貿易も中国や東南アジアに限定された。

次いで、1944年(昭和19年)9月、三興と大同貿易、それに伊藤忠兵衛が設立した呉羽紡績株式会社の3社が合併して大建産業株式会社が設立され、社長には伊藤忠兵衛が就任した。大建産業は国内外に関係会社103社、生産部門だけでも16業種に及ぶ大企業集団で、商事部門は繊維品や重化学品、穀物、肥料などの集荷と配給、軍納物資の取扱いに従事した。しかし間もなく終戦となり、海外の資産をすべて喪失した。

1945年(昭和20年)の終戦直前時点で大建産業には5,000人を超える社員がいた。うち、約2,200人が兵役や軍の仕事に従事し、約1,000人は中国や南アジアにいた。戦後、これらの人が海外から引き揚げてきたが、国内での経済活動が低迷していたため、多くの人は退職を余儀なくされた。残った社員も食料・住宅事情の良い各自の故郷に帰り、各地に支店・出張所を開設して雑貨などを扱った。こうした中、1945年末には伊藤忠兵衛が社長を辞任し、植場鉄三が社長に迎えられた。

1948年(昭和23年)2月、大建産業は財閥解体措置の一環としての過度経済力集中排除法の指定会社となり丸紅、伊藤忠商事、呉羽紡績、尼崎製釘所の4社に分割されることになった。

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