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「商社冬の時代」への対応

1981年(昭和56年)5月、松尾社長が会長となり、池田松次郎副社長が社長に就任した。

1980年代前半、わが国の実質経済成長率は3%前後の低成長が続き、素材産業を中心に過剰設備の処理が課題となった。また、円高によって輸出採算が悪化したことから、メーカーは商社に対する口銭率を引き下げたり、商社を通さず直接自分たちで輸出するようになった。このように商社を取り巻く環境が厳しさを増す一方、経営面では人件費を中心とする経費の増大や、関係会社の業績悪化などが重なり、この時代は「商社冬の時代」と呼ばれた。

こうした状況を打破するために、池田社長は1982年(昭和57年)12月、V.M.(Vitalize Marubeni)運動を社内に提唱した。V.M.運動は厳しい経営環境に対応して、全社員の意識改革を徹底して全員稼動の体制をつくり、営業基盤の拡充と収益力の向上を目的としたもので、組織・人事制度の見直し、提案制度の実施などが行われた。しかし、翌1983年(昭和58年)1月に池田社長は突然の病に倒れ、同年4月、「ウォーミングアップなしの登板を命じられた心境」と述べて、春名和雄副社長が社長に就任した。

春名社長は就任に当たり、池田前社長が提案したV.M.運動を継続するとともに、資産売却に頼らず、営業利益で配当と償却が可能な体質にすることが重要と訴えたが、その後も多額の関係会社整理損が発生し、株式売却益への依存が続き、1982年度決算での純利益はわずか3億円にまで落ち込んだ。

こうした厳しい環境下にあって、重電機やエネルギー・化学などのプラント輸出と産油国向けの鋼管の輸出は順調に実績をあげた。特に重電機は世界各地で受注が相次ぎ、1980年代から1990年代の前半を通じて、当社の大きな収益源となった。また、1983年(昭和58年)10月に情報産業本部を新設し、情報通信産業分野への取り組みを強化した。

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