【コラム】ポトマック河畔より

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保護主義に傾く米国と向かい合う覚悟が必要

丸紅米国会社ワシントン事務所長今村卓

2016年2月、日米など12カ国の政府がTPP(環太平洋経済連携協定)に署名した。それから半年、今のワシントンでは米国のTPPの年内承認は難しいとの見方が大勢だ。半年間で何が変わってしまったのか。

※これは、丸紅グループ誌『M‐SPIRIT』(2016年8月発行)のコラムとして2016年7月に執筆されたものです。

トランプ氏躍進で共和党が保護主義に

米議会は民主党と共和党の対立が激しくなる一方だが、それがTPPの審議が進まない直接の原因ではない。TPPを巡っては民主・共和両党で内部対立がある。民主党ではオバマ政権がTPP推進だが、議会で同調する民主党議員は限られ、大半の議員は支持基盤の労働組合のTPP反対に同調している。共和党は主流派がTPP推進だが、保守強硬派と反主流派はTPP反対だ。両派の考えは異なり、前者はオバマ大統領の実績づくりを阻止したい、後者は労働者階級が多くTPPが雇用を奪うとみている。それでも議会では両党合わせればTPP推進派が多数だったから、オバマ大統領は議会から通商交渉権限を一任されて、TPP署名までこぎ着けた。

TPPを巡る情勢が変わったのは、政治的には共和党の大統領選の指名争いが不動産王ドナルド・トランプ氏の独走になってからである。同氏は、出馬表明時から共和党の大統領候補では異例のTPP反対を唱えていたが、支持基盤の労働者階級対策であり、主流派の取り込みが必要になれば軟化するとみられていた。しかし、共和党の予備選が主流派に逆風が吹き荒れる異常な展開になり、TPP推進の主流派候補がすべて撤退、トランプ氏は反主流派のまま党大会で大統領候補に指名された。TPP反対も、離脱を訴えるなど一層過激になり、党指導部と主流派の方がトランプ氏に歩み寄った。大統領選に向けた共和党の政策綱領の通商政策も、トランプ氏の「米国第一主義」が明記されて保護主義に傾き、TPPの年内承認への反対が盛り込まれた。

民主党も主流派への逆風が強まり、自称「民主社会主義者」のバーニー・サンダース上院議員が善戦、同氏が訴えたTPP反対は党内にも浸透した。民主党の大統領候補に指名されたヒラリー・クリントン前国務長官も、予備選で苦戦が続き、国務長官時代に推進したTPPに反対を唱えざるを得なくなった。民主党の政策綱領にTPP反対は盛り込まれなかったが、オバマ大統領への配慮であり、TPPには慎重である。こうして民主・共和両党でTPP推進派は減り、声を上げにくくなって、TPPの年内承認は明らかに難しくなった。

中間層以下の怒りが政治力に転化、今後も長引く恐れ

もっとも、政治が積極的に保護主義やTPP反対に傾いたのではない。TPP推進を訴え年内承認を目指しては選挙に勝てないから変わったのだ。大統領候補や議員をTPP反対へ転換させたのは世論、米国民である。オバマ政権下で景気拡大は長期間続いているが、中間層以下の実質所得は低迷し、富裕層や高所得層との所得の格差は1920年代並みに広がった。製造業の雇用は長期減少傾向である。こうした変化は長期をかけて進んできたが、その厳しい現実に直面する中間層以下の米国民の怒りに共感を示す大統領候補である共和党のトランプ氏と民主党のサンダース氏が現れて支持を広げたのは、この半年間でもある。この短期間に初めて、中間層以下に属する大部分の米国民の怒りが政治的に顕在化したのである。

11月の大統領選・議会選が終わっても、極端な所得や資産の格差は残り、米国から消えた製造業の雇用も戻らない。大統領選でトランプ氏が敗れても、中間層以下や労働者階級の米国民の怒りや苦しみが強大な政治力に転化し得ることは、この半年間のトランプ氏の活躍で実証されたから、格差の縮小や労働者階級の雇用環境の改善がなければ、第二のトランプ氏が現れるし、有権者も第二のトランプ氏を探すだろう。それが通商政策では根強い保護主義への圧力を生み出す。こうした構造が早期に変わるとは思えない。

米国が最重要市場の一つであり、今後もビジネスの拡大を目指している丸紅グループにとって、保護主義が強まり長引きそうな米国の現状は非常に懸念が多い。だが米国が今後も重要市場であり続けることは疑いようがない以上、米国で覚悟を決めて、これまで以上に良質な雇用と付加価値を創出し続け、多くの米国民に評価される企業を目指すしかない。



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