Scope #05

Marubeni Educational Fund
in Vietnam

夢を追いかけるベトナムの小学生を支える

By James Simms

ニンスアン、ベトナム― トゥーの母親の一日は午前3時に始まる。家事だけでなく、畑仕事やレストランでの皿洗い、観光用ボートの漕ぎ手まで、彼女の仕事は18時間続く。


新興国の人々にとって、朝から晩まで働いても十分に稼ぐことのできない状況は珍しいことではない。しかし、親たちが子ども達の未来のために進んで犠牲を払おうとする気持ちは、世界の他の国々と何ら変わらない。

1986年に始まったドイモイ政策と教育の強化は、世界的に最も貧しい国の一つであったベトナムの所得水準を押し上げ、今やベトナムは日本企業にとっても最も有望な市場の一つとなった。それにもかかわらず、ニンスアンのような農村部では特に、まだ貧しい生活を送る人々がいる。


母子家庭の場合はさらに生活は厳しい。トゥーは幼い頃に父親を癌で亡くした。「夫の死は深い悲しみとたくさんの借金を残しました。」と母親は言う。

「10年先の利益のためには、木を植えよ。100年先の利益のためには、人材を育てよ。そういうホーチミンの言葉があります。ベトナムでは教育はとても重要だと考えられているのです。」ブロックでできた、二間しかない小さな家で、母親は話す。「息子が学校へ通うために、私はできる限りのことをします。十分な教育を受け、トゥーには私よりもよい人生を送ってほしい。そして社会にも貢献してもらいたいのです。」


1994年、丸紅は「Marubeni Educational Fund in Vietnam(MACFUND)」を設立した。経済的に恵まれない、優秀な学生を支援するためだ。ベトナムで外国企業が設立した中で最も古い基金の一つで、これまでにベトナムの63の地域(58省5中央政府直轄市)のほとんどで、約8,000人の教師や生徒たちに累計20万ドルの支援をしてきた。

トゥーもMACFUNDの奨学生の一人だ。

奨学金は母親の負担を軽くし、科学者かお医者さんになりたいという自分の夢へ一歩近づけてくれた、とトゥーは言う。この11歳の少年は、トーマス・エジソンのように人々の生活をよりよいものにし、また亡き父のような病気の人々を治したいという。「そのために僕は算数と英語をすごく頑張っていて、いくつか賞ももらったんだ。」将来は技術力の高い日本で勉強してみたいと言う。


もう一人の奨学生、ヒエン(10歳)も、シングルマザーの家庭で育っている。ヒエンは先生になり、自分の小学校に戻ってきて教えたいという。奨学金は、建設現場などで働く母親の半月分の収入にあたり、制服や文房具などの備品、16歳の娘とヒエンの塾などにかかる費用に充てられる。


ヒエンが現在も通い、トゥーも昨年まで通っていたニンスアン小学校は、2008年にMACFUNDの援助によって校舎を新設した。

MACFUNDは、丸紅の150周年を記念して、従来の奨学金に加え、財政状態の苦しい地域の学校建設を援助することを決めた。5つの候補学校を検討した結果ニンスアン小学校が選ばれ、15万ドルの援助を受けることになった。この地域は所得が低い家庭が多く、また大きな崖の下に建てられた当時の校舎は落石などの危険もあった、とMACFUNDの副理事長のトラン氏は選定理由を振り返る。


「この地域の生活はまだ非常に厳しいです。学生たちの家を訪ねれば、その貧しさが分かります。」と彼は言う。新しい校舎には、MACFUNDが寄附したコンピューターを備えた専用の教室もできた。ニンスアン小学校の教育の質やテストの成績は向上し、生徒たちや教師の受賞も増えてきたという。


これは、ベトナム全体の教育レベルの流れにも一致している。2012年に行なわれた経済協力開発機構(OECD)の最新の調査によると、国民一人当たりのGDPが47カ国中最下位にも関わらず、ベトナムの数学・科学とリーディングのテストスコアは高い。韓国や日本には劣るものの、米国やフランスといった豊かな国々と同じレベルの成績だ。要因の一つとして、韓国や日本と同じように、教育を重視する儒教の考え方や、受験への圧力といった文化的背景もあるかもしれない。


丸紅ベトナム会社の相良社長は、MACFUNDの活動をベトナム全域まで広げていきたいと考えている。そして、ビジネスのパートナーだけではなく、一般の、特に若いベトナム人達にも丸紅のことを好きになってもらいたいという。「丸紅ベトナム会社にとってMACFUNDの活動はあらゆる面で重要です。だから、これからも続けていきたいと考えています。」

(本文は、2016年9月の取材をもとに作成しています)


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