【コラム】世界の街から

福岡/日本

おすすめスポット in 福岡 ~福岡博多歴史散歩~

佐藤 英二/丸紅九州支社

※このコラムは、世界各地の丸紅グループ社員が、その土地の様子や暮らしぶりについて書いたものです。

九州支社がお薦めするスポットは、「九州支社が入居しているビルの3階中庭」です。そこには約430年前に博多の豪商・神屋宗湛が建て、太閤秀吉と石田三成が訪れたという由緒ある茶室の庭(露地)跡があります。ご存じでしたか?

茶室は福岡の名士、平岡浩太郎が庵主となり、国宝になりました。残念ながら昭和20年の戦災で焼失しましたが、幸い露地は完全に残り、現在の場所に移されました。石灯籠や、茶室には帯刀できないため刀を預かった石田三成が太閤を待つ間座っていたという腰掛石なども配してあります。

かつては観光ツアーのルートに入っていたこともあり、九州支社で知らない人はなかった露地跡も、いつの間にか忘れられているようです。この記事をご覧の歴史好きの皆様、ぜひ九州へお越しいただき、露地跡で遥か昔に思いを馳せてはいかがでしょうか。

■博多商人のパワーに支えられてきた街

博多の町は、その地理的条件から大陸貿易の基地として古くから栄えていました。古の博多商人は、われわれ商社パーソンの大先輩と言えるかもしれません。現在も、特に東アジアからの多数のインバウンド観光客が町を賑わせています。

博多の町は、繁栄したが故に戦国大名・豪族の争奪の場となって焼け野原と化した時期がありましたが、天正15年(1587)6月、九州征伐を終えた太閤秀吉は、博多の町の復興を石田三成や黒田官兵衛ら武士と、神屋宗湛をはじめとする博多の豪商たちに命じます。豪商たちの尽力で復興は進み、同年末には各地に離散していた博多町人も呼び戻され、「東洋のベニス」と呼ばれた、かつての繁栄を急速に取り戻します。

復興に当たって「太閤町割り」と呼ばれる区画整理が行われ、それぞれの区画は「流れ」と呼ばれます。当地の夏の風物詩である博多祇園山笠は、400年以上を経た現在でも、この流れを単位として執り行われています。

なお、古くからある商人の町が「博多」、黒田長政(黒田官兵衛の嫡男)が江戸時代に開いた城下町が「福岡」と、もともとエリアで分けられていました(その間にある歓楽街が「中州」です)が、現在では町の名前が福岡市、ターミナル駅は博多駅、空港は福岡空港...と、少々分かり難くなっています。ですが、そんな曖昧さも、住んでしまえば魅力の一つ(?)です。

■日本の食のルーツは福岡にあり?

博多祇園山笠は聖一国師(円爾)が興したと伝えられていますが、円爾は宋から茶の実を持ち帰り、茶の栽培を広めたことでも有名です。また、諸説あるものの、円爾が宋から製粉の技術を持ち帰り、うどんが国内で広まったと言われています。謝国明ら、宋商人の援助を受けて円爾が開いた承天寺の境内には「饂飩蕎麦発祥之地」と記された石碑が建っています。

2008年には「饅頭発祥の碑」も建てられましたので、うどんも蕎麦もまんじゅうも、すべてが福岡発祥という何よりの証拠です。今ではすっかり豚骨ラーメンのイメージですが、日本の麺類・粉食文化のルーツは当地なのです。

街を散策すれば、おいしそうな店がいくらでも目に入ります。グルメ本に頼らずに、気になる店にふらりと立ち寄ってみる。そんな楽しみ方ができるのも、人情あふれるこの街ならではです。

福岡は由緒ある神社仏閣が立ち並ぶ歴史の街であり、古よりの商人のパワーを感じられる街でもあります。また、海外からの観光客が集うインターナショナルな一面もあり、また、明太子や屋台に代表されるグルメの街としても知られ、さまざまな顔を持つ魅力的なところです。九州支社が入居しているビルの中庭の露地跡を出発点に、この街の多面的な魅力を感じていただければと思います。

丸紅グループコミュニケーションサイト『MS+(エムエスプラス)』(2016年10月3日掲載)より

  • 露地跡全景。三成の腰掛石は左下
  • 左下が三成の腰掛石(拡大写真)
  • (左)九州支社の前にある立派な飾り山笠。まさに夏の風物詩
    (右)裏側(見送り)にはサザエさん一家。長谷川町子さんも福岡育ちです
  • 力強く刻まれた「うどん・そば発祥の地」
  • 御饅頭所(おんまんじゅうところ)の碑。円爾が書いた「御饅頭所」の看板は東京にあります
  • 近くの妙楽寺には「ういろう伝承の地」の碑が。円爾はお茶と一緒にスイーツも日本へ持ち込んだ大恩人
  • 町の新しいシンボル、博多千年門


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